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日々のつれづれ 先生との遠距離恋愛編

久々の休みです。

怒涛の内科研修が終わり、そのままOBGYNに入り、文字通りぼこぼこの毎日ですが、
これでやっと、すこし、腰を落ち着けれるような気がします。

気持ちや考えの整理をする上で、わたしにとって,日記を更新することは
大切な癒しだとおもって書いています


明日から先生は八重山病院といって、2ヶ月石垣島に旅立ってしまいます。

12月に1週間休暇がもらえるので、そこで初めての石垣島旅行に行こうと思っていますが、
離れ離れの生活は初めてなので、今からどうなるのだろうと少し不安です。

先生とは、ゴールのみえなかった以前と違って、ちょっと発展したと思います。

院内の先輩医師が結婚をし始めたこともあり、
私もさすがに意識しないわけではなかったのですが、
そんななか、外科シニアのDrPが,私と「先生」を食事に誘った機会がありました。

DrPは、「先生」が仲がよいと他言する数少ない先輩で、いままで、先生は私と一緒に第3者と時間をすごすことをさけていたのに、珍しく、一緒に行こうといったのも、DrPだからだと思います。

Dr Pはその食事の最中、ひたす自分の来年の結婚の話をしていて(笑)、
さらに

で、お前らはいつなの?

と10回以上(笑)聞いてきたのには私も冷や汗をかいたものでしたが、
気まずそうに答えに困っている先生をそばでみていて、複雑な思いを抱いたしたケリーなのでした。

後日、なんとなく、気分がもやもやして眠れなかったこともあり、

ケリー
あのさ、研修が終わるまで結婚しない理由ってなんだったっけ?

と思い切って聞いてみました。

すると、

先生
だって準備が大変でしょ。

という答えが返ってきたので、

ケリー
入籍自体は市役所に書類届けるだけだよ。
べつに式とかはあとでいいんじゃないの?

というと、

先生
そうか。それならいいよ。

と、
はあ??(笑)みたいな答えが返ってきました。

なんてこどもっぽいひとなんだろうと思いつつ、もう、なーんだとおもったケリーでした。

実際にはきちんと両親同士が会ってからなので2月以降にはなりますが、なんとなく、
結婚する話が現実化したような気がしました。自分の両親には伝えましたが、
先生はそんな様子がまったくなくて、ほんとうにダメ男だなあとおもいます。

というか、こんな少年のような「先生」と結婚していいのか?
という逆に不安になるエピソードばかりではありますが(笑)、

先生の奇人、変人ぶりには、ほとほと慣れてしまっていて、
なんとなく、

私以外にはついていけないのではないだろうか?

とよくある相互依存のカップルの女性みたいな考えにそまっているケリーでした。(笑)


女性とくにAround 30の場合、あまりにも結婚が煮詰まらない場合には、
やはり別れも考慮するものです。


私も例外ではなく、今回Dr Pとの会食後の夜は、
さすがに、はっきりしない先生との付き合いについて、そろそろ身の振り方を考えようと思い、
実はひそかに寮の部屋の先生の荷物を整理していたのでした。(ごめんね)

掃除をしていると、先生の父親からの手紙が見つかり、悪いとはおもいつつ、みていると、上二人の兄弟の孫に囲まれて、2つの家族と、彼の両親が温泉にいったときの写真が入っていて、

OOOの孫も、できたら元気なうちに育てたいと思っています。
OOOのことを想ってくれる優しい女性はまだ現れないのですか? と直筆でかかれていました。

しーん・・・
なんだか、先生、というより彼の両親のことを思うと、なんとなくいたたまれず、
先生を追い出す作業をそこでやめたケリーなのでした。
(そしてなにごともなかったのごとく封筒をとじました 笑)

それからあとの話は書いたとおりです。

いろいろ書きましたが、先生のことは両親や兄弟と同様に大切に思っていて、
だからこそ、うまく先生と人生がクロスマッチすることを望んでいます。

それでいて、一人前の医師に早くなりたいし、こどもだって早くうみたい。よくばりなのかもですが、働く女性であればみなかなえたいことばかりだと思います。

OBGYNの研修は思った以上にきついですが、歯をくいしばってがんばろうと思います。

ときどき、会える他科の同期や、先輩、後輩医師とのふれあいが私の大切な息抜きになっています。
これからもよろしくお願いします。

  1. 2009/11/07(土) 13:37:11|
  2. ☆めんそ〜れ OKINAWAN LIFE☆ 初期研修 こころの日記
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さようなら そして ありがとう 

内科研修終了、それはWomen's Health人生のはじまり

感染症、呼吸器、消化器と3ヶ月回ってきたが、
ついに内科ローテーションが終わってしまった。

内科をもっともっと勉強したいし、内科研修をもっとやりたい。
これは今もまだ変わっていない私の本音である。
しかし、OCHに残ることを決めた以上ローテーションは、予定通り、のこり半年間はOBGYNをやるしかない。これからずっとOBGYNをやるんだから、のこりの半年くらい内科を追加してもばちはあたらないとおもうが、昔の研修をやってきたスタッフにしてみれば、ただでさえ、初期研修で1年間専修に入るのがおくれるのに、まだまわるの??きりがないでしょ!というのも、わからないでもない。

しかし、3つの科を回ってみて思うのは、
患者を担当すると必死でやるものだし、患者数も相当見るうえ、直接スタッフから教わる内科研修では学びが、非常に効率的だと思う。回った科にぞくする患者が救急室にくると、自信をもってみれるが、逆に回っていない循環器などはいまだ苦手意識がとれていない。

OCHの内科研修と救急室研修は、うちの看板のひとつだと思う。
インターンで回るのとは大違いで、
レジデントとして研修すると、その科のマネージメントが「なんとなく」できるようになるのが不思議だ。

また、内科では付属的に、シニアがレクチャーしてくれることが多い。
とくに、月曜に、内科チーフレジデントのDrSがやってくれていたレクチャーは全10回程度のシリーズもので、喘息、CHF、ACS、栄養など私たちが一番しりたいような内容が凝縮されていた。
Dr Sは予備校の名物講師ばりにレクチャーが上手だったため、私はGIの仕事が残っていても、
時間が許すときはなるべく聞くようにしていた。
(そのときもらったレクチャースライドはいまでも参考にさせていただいている。)

内科研修中、ラッキーなのか?(笑)
DrSと、毎回のごとく、ECシニアとして、私の指導についてもらったが、彼と夜を過ごす(笑)と、私にとっては、「荒れる」ことが多く、きつい思い出であった。(DrSに言わせるとたいしたことないらしい)

5人くらい同時発生テロ的に、急性白血病の患者、ステロイド使用中患者の発熱、CHF、アルコール離脱せん妄?などがインターンからコンサルトされ、何をどの順番でやっていくか、混乱しまくる私であったが、楽しそうに、つぎからつぎへとはっぱをかけてくるDrSに対し、

絶対サディストなんだ!(笑)と

こころのうちで思いながら泣きながら走り回って、なんとか、23時をむかえ、回診を終えた1じごろの安堵感といったら、なんともいえない。

またお前と当直か(笑)といわれるくらい毎回Dr Sとの準夜であったが、
非常に学びが多い機会となるのも事実でありとても感謝している。

準夜が終わると、「先生」が部屋で、夜食を買って待ってくれている。
先生は厳しい内科研修にあたっての精神的な支えであった。仕事のうえでは、人一倍私に厳しい先生であったが、そういいつつも、私が内科当直をする日には、かならず、寮にいて必要のない「シニア当直」をしてくれるのであった。

デートの間でも、抗生剤選択についてディスカッションをしたり、
私たちの付き合い方は、すごく変だとおもうが(笑)
それでも先生と内科の話をするのは大好きだ。
『ケリー そんなことも知らないのか』とめったぎりにされて終わるのがたいていであるが・・

ケリー Dr T とのセッションに選ばれるの巻

infectionレジデントのときに経験した
おばあの顔面腫脹のケースを
内科のケースカンファに出そうと思って、DrPONとDrBeanにみてもらい完成させていたところ、
GIMで名物のDrKからケースカンファの2週前に電話がかかってきた。

DrK
先生・・・今度DrTが10月末にくるんですよ・・
先生のあのケースとっても面白いと思うんですがね・・
できているみたいだし、英語に換えるだけですよ・・
それに先生ハワイ大研修して、英語でsurviveしてたんでしょ!?

ケリー
え?じゃあケースカンファはどうなるですか?同じケースで日本語でやるんですよね?

DrK
ああ、それじゃあおもしろくないから
新しいケースを今から呼吸器ローテーション中に見つけて作ってください。
僕からチェストスタッフにゆっときますよ。
あと、Dr Tがくるとき、ケリーはOBGYNに移っているから
僕からその時間だけ、お借りできるよう、OBの部長(ひげのボス)にゆっときますね。


ケリー
えーっ??(こっこの鬼ー!!)

というわけで、泣きながら、救急室からのめぼしい新患をとり、
なんとか、臓器移植後の免疫抑制剤使用中の患者の発熱と咳 というテーマで、
ケースカンファを3日でつくった。

来てくれていた「先生」にいわせると、偶発的に 面白いテーマだったらしい(笑)が、
あまりに適当なスライドづくりに一部のシニアから、
失笑がもれていたのに、気づかない私ではなかったが(笑)、
わたしのメンター?のひとりである、外科シニアのあひる先生もきてくれていて、緊張しないで発表できたのはよかった。 

ケースカンファが何とか終わったものの、
むしろ、Dr Tのケースセッションの準備の幕開けであった。

DrKにあうたびに、 すすみ具合はどうですか?と聞かれていたが、
ぜんぜんできてないよ・・と毎回とほほな答えしかない私に痺れをきらしたのか、

Dr Tの来日がせまったある日、

Dr K
先生・・・今どこにいますか?よければ先生の今いるところまで原稿とりにみにいきますよ?

ケリー
いや、私が病院に戻りますんで!!

とDrKとは、だんだん、締め切りに追われてにげまくる漫画家と、
編集者のような関係になっていた(笑)

GIのOFFサービスと、OBGYNのONサービスをしながら、
Dr Tのスライド作りをやって、この1年半の中でいちばん忙しかったような気がする。

そうこうしながら、迎えた世界最高の一般内科医の一人とされるDr Tとのセッションだったが、
Dr Tのカーネルおじさんのような見た目と言葉がちがってもつたわってくる優しさに、つたない英語をはなしつつも、あまり緊張しないで済んだ。

OCHでのよき思い出がまた、ひとつできたと思う。そして、はっぱをかけ、適切な指導を、辛抱強くやってくれたDr Kにも非常に感謝している。

おばあの原因不明の顔面腫脹のケースは、内科研修の中でも一番苦慮したケースで、InfのDr Pon,DrBean、血液内科グループ、GIグループ、GIMグループ、皮膚科、耳鼻科、病理と他科にまたがってみなで取り組んだケースだったので、このケースをきちんと整理できたことは、私の内科研修を終えたひとつの証のような気がした。

OCHの内科で研修できたことは、私の一生の思い出であり、誇りである。
  1. 2009/11/07(土) 12:46:24|
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地獄のGIレジテントケリーのまき

地獄のGIレジデントケリーの巻

ついにわたしとDrK(以後Jr)の患者数はそれぞれ30をこえ、合計61となった。

一人当たり30人はこの中部病院にあっても、
一応のキャップ(入院制限がかかる人数)とされているくらいの人数である。

しだいに私とジュニアの患者さんの把握具合も落ちていき、
ERCP、カメラ後というだけの検査後入院だと、回診のときに、

なんの患者さんなんだったっけ??

と笑うに笑えないことが起こり始める。
60人の回診は朝から始めて、終わるのは、2時過ぎになることもしばしばであった。

午後からは、今度はスタッフとマンツーマンのカルテ回診があるので、その間にやっておくことを昼もたべずにやっておかないと、間に合わなくなる。

チェストからGIへの転科の日、
今度は間借りの2週間ではなく、1か月のローテーションとなり、受け持ち患者数もOCHきっての大人数となるため、私はかなり気が張っていた。

そんなびくついている私に、さらに追い打ちをかけるように、
GI経験者の同期のレジたちは、

おまえGIいくのか。
いや・・あれは正直きつかったわ・・
と遠い目で(そして達成感からか)やや満足気に語るのであった。(笑)

OCHでは「働かない (笑)」 と一般的に思われがちな雰囲気の私であったが、

実はちょこまかGIの病棟にいっては患者さんをみていた。
2日前に呼吸器の22人分のOFF service ノートと、消化器25人のOn Servieノートを、仕事の合間を縫ってひそかに書いたのち、前日には、全員分のカルテをカートに乗せて、カラカラ引っ張りながらひとりひとり、病室をおとずれて、自己紹介をしにいった。

沖縄も、前にいたお茶の代わりに酒のでてくる高知と同じで、
酒飲みの多いところで、肝臓疾患には事欠かないと思う。


翌朝GI勤務初日、救急室にいくと、早速3人の新患がならんでいた。

私とJrは今日は私外来だから、朝の分はお願い、午後はとるよ
なんて感じで患者数が均等になるようにうまくやっていたとおもう。

OCHは午後3時までの入院は病棟に上げるルールで、救急レジが各科に割り振ってくる。
だからこそ、午後3時までの電話は、いつも救急室からだと、新患?とおもってびくびくしているのであった。そして、『ぶっこみタイム』といわれる午後2時50分からは電話がかかってくるたびにどきどきするのは、おそらく、内科レジデントならみな経験しているとおもう。

さらにGIは、救急室からの入院だけでなく、スタッフが持っている外来や検査の患者が入院になることも多いので、毎日合計4人程度の入院が平均してあったと思う。うまく治して(せめて悪くさせないで)、返せる状態の患者さんを帰さないと、あっという間に30人を超えてしまうのが、GIレジデントのつらいところであった。

さらに、普通につらい内科当直のなかでも、もっとも厳しい準夜という救急当直明けは、お持ち帰りのジェネラル入院が発生する。

なにそれ?であるが、要するに、どの科にもまたがっている、診断がはっきりついていない、ソーシャルプロブレムで入院などあいまいな境界線上にある患者さんを『ジェネラル入院』として、
たいてい最初にみた内科レジがそのまま、自分の科に入院をさせることが多い。

このため、準夜(17時から23時)当直という、一番患者の多い時間帯に当直をすると、たいていジェネラルは持ち帰りとなるのがつらいところであった。

病棟に上がってから、急変したりするのは、ジェネラル患者のことが多い。なぜなら、アセスメントが間違っていたり、または、他科の領域だと、スタッフもやりずらかったりするからだ。
ようするにジェネラル入院はさけたいのが内科レジの共通の思いである。

GI研修中の、準夜ほど、大変なものはない。
午後1時すぎに回診がおわると、一気に仕事に取り掛かり、4時にはヤングスタッフとカルテ回診をして、ダッシュで5時にERにいく。そしてECレジから、3時までに入院あげられなかった、アセスメントのたっていない、わけわからん患者さんを3,4人引き継いで、新患入院を5人程度朝までもつ。つまり合計10人弱程度の入院患者を朝まで管理して、また、朝6時の救急室回診でプレゼンをして、各科に振り分けてもらうのだが、

このひとは、ケリーの持ち帰りな?といわれ、(笑)

ジェネラルをふくめ結局3人くらい入院となるわけだ。そして、回診がおわる7時30分以降、新患の入院指示を書いて、当直から引継ぎを聞いて、ダッシュで6東にもどって、カルテを一気にみて、動きのある人を中心に顔を見に行く。8時半からGI回診が始まるので、朝の1分1分が勝負である。

肝膿瘍で4週間抗生剤コースで落ち着いている人など、朝見に行く時間もなく、
夕方落ち着いてから行ったときに、朝いけなくてごめんなさいね。というと、
先生忙しいんだと思って・・気にしてないですよ
などいわれると、切なくなる.

後医は名医というが、腹痛の鑑別は初診ではGIなのか外科なのが、難しいことある。
お互い様なのではあるが、救急レジから外科の患者さんが送り込まれてくることもある。

あるとき、回診中救急レジから入院の電話があり、あとで見に行きますといったにもかかわらず、いつのまにか病棟に上げられていて、2時に回診がおわって、いそいで見に行くと、リバウンドテンダネスのおなかである。救急室のアセスメントは最後にコーヒー残渣様の嘔吐をしたからGIというだけの肺炎であったが、腸穿孔であった。
余裕のなかった私は、そのときばかりは腹が立って、
いつのまにか病棟にあげた、救急レジデントに電話をし、大喧嘩となった(笑)
いまとなってはあおくさく、気恥ずかしい話ではあるが・・

LCの患者さんは、悪くなるときはほんとに急変である。
自分のマネージメントがわるいと、即日にICUにいってしまい、日々反省であった。病棟からICU行きになることくらい、恥ずかしいことはないが、私も送ってしまった。
そのさい、血液培養でEnterococcusが後から生えてきたのに、ABPCを追加でいれていなかったことが判明し、ICUレジに、みんなの前で患者を殺すぞ! と怒られたときは、かなりつらかった。

その日は家に帰ってから体育すわりしてぼーっとした。(笑)

その患者さんが元気に病棟にもどってきてくれて本当によかったと思う。(すみません!)

また抗生剤の使い方であるが、
感染症レジで、いかに抗生剤を適切に、必要十分のスペクトラムでいれるかを教わってきた私にとって、チェストとGIで、カルバペネムを使うことに当初は、違和感があった。
しかし、ARDSやLCのsepsisなど後がない位の急変シチュエーションを何度か経験していくうち、

よし!イミペネムしかない(笑)

という風になってきたから不思議だ。

攻めと守りのどちらの姿勢も体験できたことはよかったと思うし、やはり各科の特性や方針の考え方を知る上で、ローテーションすることの意義を感じた。
ほんとは、HEARTやNeuro、Neproを回りたい気持ちは今も捨てれておらず、一度ばっさりとOBのスタッフに断られたものの、シニアになってから、再度、ひげのボスにお願いしてみたいと思っている。

上記のとおり、GIの研修は、体力的にきびしかったが、精神的には満たされていて、非常に楽しかった。これは、相棒が穏やかないいひとだったことと(新患をどっちがとるかでもめたことは一度もなかった)、またシニアレジのDrGやスタッフがみな教育的でサポーティブであったことが大きい。

わかりやすくいうと、いい男(ひと)たちにかこまれ、ケリーは毎日楽しく働いていた。(笑)

さっぱりしていて、ジョークも通じるし、そして、きちんとした監督のもと、任せてくれるところは自由にやらせてくれた。

男の世界はいい。HOMEのOBGYNにかえった今、GI回診とすれ違うとき、遠い目で懐かしさをいつも覚えている。


  1. 2009/10/04(日) 06:50:05|
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最近の私のつれづれ シルバーウィーク編

間借りのチェスト レジデント ケリーの巻
感染症からチェストに移ってきました。医師年数同じ方ばかりで仲のよいヤングスタッフと、イギリスのお笑い番組のMr BEANにちょっと似ている明るいDr Tにお世話になりつつ、たった2週間だけチェストにきています。

この科の病気は、あっという間にわるくなってしまい、そのスピードに、圧倒されることもしばしばですが、なにかしら(とくに喘息、COPD)2週間で学んで帰りたいと思います。

結核疑いの人が入るたびにN95をつけるのですが、
ぴったりと密着する高性能のマスクのため、鼻のところだけ、ファンデーションがおちてつけるたびにスジになっていくのが、つらい。N95だけはにがてです・・(笑)

居心地のよい時間のために カフェ、device、インテリア
那覇に名前の好きなカフェがあり、ひさびさに行きました。
名前がワン オア エイト(いちかばちか という意味) といって、
ここで過ごした人に自分の夢をかなえてもらうというコンセプトだそうです。
電源がテーブルごとにあるし、次の2杯目から半額で、最初から長時間過ごしてもらうことを前提としていて、資格なり勉強しているひとが多いのが特徴です。
パソコンを堂々と使えるのは助かります。
こういうカフェがもっと近くにあればなあと思います。


大流行の予感 Ipod touch

ついにipod touchを買いました。
きっかけは感染症のDrPONが無料ソフトのepocratesを使いこなしていて、とくに、飲んでいる薬のリストを入れると、すべての薬の相互作用を打ち出してくれる機能がいいなとおもったことです。最近は琉球大の学生すらも持ち始めていて、I phoneならカメラもついていて便利そうです。私はDOCOMO派だったので、PHONEはやめましたが・・
ついにアメリカのPALMのように、日本の医師の間でもこういったmedical deviceが普及しそうな気がします。

調子にのって、Pocket Medicineや英治郎や、ABx Guideや、グレイズアナトミーを入れたりしましたが、結局私がつかっているのは、自分が打ったワードファイルを見るだけだったりします・・


先生とのバトル ロワイヤル


内科レジデントになってからというもの、朝が起きれないため、先生との愛の巣(笑)の部屋にはほとんど帰らず遅刻しないように寮にいましたが、
せっかくの使っている部屋をもっと居心地よくしてみようと思い、大きなダイニングテーブルなど、インテリア商品をいくつか買ってみました。その代わりに先生には大きい液晶テレビを買ってもらいました。
なんだかんだで、どっちかが当直の日には寮にいるので、月のほとんどを寮ですごしているような気がしますが・・

最近うまくいっているような気がしますが、
ときどきふとしたことで、喧嘩になったりと相変わらずです。

感染症のときは、血培ボトルからGPCが生えるたびに、
CCUにr/o I.E.で心エコーをコンサルトしなくてはならず、
『スタッフに言われたからってコンサルトばかりだすなよ。
根拠のないコンサルトは受けないよ!』
『いいから早く(エコー)やってよ!』と寮の部屋でよく喧嘩したものでした。

やっとお互いグループが替わりそういうか関わりがなくなったのは楽になりました。

両親に会うことになったものの、その会い方についてもふたたびバトルになりました。
普通彼の実家にいくものだろうと思っていたら、京都なりに呼び寄せてそこで会えばいい という提案に、

はあ?最初に会うのに、なんで、わざわざご両親に足苦労かけるわけ?
自分から出向くものじゃないの?とおもった私でした。

古風なのか、私としてみればなんだか失礼な気がするのですが、どうでしょう。

彼の考えていることがときどき理解できず、
それでいて、彼なりの尋常でないこだわりがあることだけは理解できるので、
すこし今は泳がせている段階です。

まだまだゴールまで困難はいろいろありそうな予感です。
  1. 2009/09/22(火) 13:22:46|
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チェスト レジデント!ケリーの2週間

働く女のスキンケア編
久々の休日。私はスパにいくことにきめた。 
というのは、当直明けでおふろにはいっていないのは当然のこと、直明けにおうちで先生と飲んだビールのせいで、即座に眠りこけてしまったからであった。
そう。わたしは二日連続お風呂に入っていなかった。

そのスパは先輩女医におしえてもらった場所で、ホテルに併設された静かなスパでリラックスしながらのんびりすごすことができる。しかも岩盤浴付で、1000円
貧乏なケリーでも優雅な気分が味わえる貴重な存在であった。
海のみえる大浴場のお風呂につかりながら、今週あったことをいろいろ考えていた。

男はファイリング、女は上書き保存。ですもんね
といったのはアジアンビューティーの琉大の学生。

たまたまみんなでご飯を食べているとき、彼氏のもとに元の彼女がお見舞いに来ることについてどう考えるか、実例を交えながら話し合っていたときにでたのが、
上記の彼女の言葉で、つまりは過去の彼女や彼氏の、整理のつけかたである。

なるほどねえ・・
つまり、男は別れたあと、いつまでも『俺の女』コレクションにはいっている
(いつでもOKとおもっているらしい)
でも女は、過去の男の記憶はあたらしい男で塗り替えてしまうというわけだ。
たしかに、私も先生と付き合って以来、昔の男たちについて考えることなんてなかった。
先生とかにはできたらついてほしくないと思う(笑)美人MSの彼女がいう言葉はなかなか含蓄がある。

SOAPを知らないのか、彼女のかくラウンドノートはいつも内容が中途半端であった。
でもね、彼女の人生に別にSOAPなんてきっと必要ないのだ。
美しいだけでもう生活力がある・・というか。(笑)

女性にとって、どんなに仕事ができようが、ある程度の女性らしさというか、美しさもそなわっていないと、とやかくいわれがちである。
仕事はできるけど、女性としてどうなの?みたいな。(余計なお世話であるが)

ケリーのお姉ちゃんも美人だったため、私はなにかしら比較される人生だったりして、思えば、暗い少女時代をすごしたものだ。(笑)
8歳上の姉は東京でジュリアナ時代を謳歌して、いろんな浮名をながし、その一方で私は進学校にすすみ、医学部に入った。

安定している仕事につけたじゃないか?
そんなことは一切関係ない。
女にとって、頭よさそう。というのは、男の人にとっての、いい人だと思うんだけどね。と同じかそれ以下である。(笑)

今でこそ、化粧でお茶をにごして生きているが、
上記のトラウマのせいで、先生に素顔をみせるまでの時間は結構かかったとおもう。

当直明けのさ、女性の研修医とかみると、かわいそうになってくる。
とはまたまた、無神経な若い男性代表 『先生』のことば。

まったく。
わたしたちだって好きであんな顔で救急室に降りていくわけではないのに。
むくんだ顔から落ちかけたファンデと、昨日の朝引いたアイラインは当直明けのくまをさらにふちどって強調してくれる効果をもたらす。(笑)

振り返って思えば、付き合い始めのころ、当直明けに先生と会うときは、落ちかけた化粧の上に、これでもかとファンデーションをぬりこめた。寝化粧は肌にわるいとおもっていても、先生の前ではきれいでありたかったから夜も化粧をおとさなかった。考えてみると渋谷の汚ギャル状態であった。(笑)

その姿に見かねたのか?単に関係が進展しただけなのか?

化粧道具とかスクラブ(仕事着)とか俺の部屋に一式おいておけば?
今度からはここから病院に行くといいよ。

先生がそういってくれたのをきっかけに、私は化粧を落とすようになり、
先生の部屋の座敷わらしとなった。

スキンケアまで手が回るようになったら、(そういった精神的、時間的な余裕が持てるようになったという意味で)女性医師として一人前になったといえるのかもしれない。(笑)
当直明け。今日も、化粧も直さずプレラウンドにいく私は、まだまだ半人前だなと思う。

Chestレジデント ケリーの葛藤

また一人、なくなってしまった。語弊があるのを承知で書くが、
Chestにきてからマスターしたことのひとつは、死亡診断書の書き方かもしれない。

ケリー
マスクつけないと死んじゃいますよ!みんな心配してるんです、つけてください!

おじい
いいんだよ!みんなに迷惑かけなくてすむ!
おれなんていっそのこと早く死ぬほうが家族のためになるんだ!

マスクをつける、つけないで昨日まで喧嘩していたおじいは、一気に悪くなり、
翌日の朝にはお見送りをすることになってしまった。

おじいは、がんこなひとで、家族も手を焼いている人であった。
挿管、BIPAPはおろか、初めはリザーバー付マスクすら嫌がってつけなかったIP増悪のおじいで、すきなようにさせてやってくださいという家族の希望もあり、
一過性にSaO2が70とかにまでさがっても、本来はNPOの彼にご飯を食べてもらっていた。

やわらかいものにかえようよ!といっても、
いいんだ。硬さとかは問題じゃない。
と普通食から軟菜に帰ることも拒まれたくらい、彼の意欲はあった。

ところが、あるベテラン看護師に、
先生、もう、モルフィン使ってあげる時期だと思うんですよ。
ナースサイドでは全員そう思ってるんですけど。スタッフにはいいましたか?
といわれ、私はかなり困惑してしまった。

私にとっては、あんなご飯を食べたいと思っている意欲のある人に、
モルフィンをつかうと、呼吸苦をとる代わりに、意欲までもうばってしまって、
単に死に向かっていくだけのような気がしていた。

たしかに、ぜいぜい本当に苦しそうである。SaO2もマスク全開でSpO270台まで落ちていた。でもこれだけ意欲があるんだったら、またもちかえすんじゃないだろうか。とも思ったりして、スタッフにもあまり切り出したくなかったのが事実である。
しかし結局、相談の末、マルピー(塩酸モルフィン)を飲んでもらうことになった。

ケリー
OOさん、これ飲んで、少し息苦しさをとろうか・・
おじい
先生、またご飯とか食べれるようになるよね?

ケリー うん・・

私の気持ちはなんだか後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
すーっと彼の意識は眠るように落ちていき、ABGも朝方PaO239と、なにこれ?静脈?みたいな値にまで下がっていた。

状態のよかったころ、こっちが自宅に退院させようとしたら、
自宅ではみきれない。施設でお願いします。と断固としてゆずらなかった家族が、
下顎呼吸をしているような段階になって、

『先生、一瞬でもおうちに連れて帰ってあげたいんだけどだめですか?』
というようになったのはおどろきであった。

いまにも息絶えようとしている状態で、そんなことはかなえてあげられなかった。
もっと早い段階、先週までの転院交渉中の彼にそういってあげてほしかった。
もしくは私がモルフィンを使う前に!

私がチェストにきて以来、治療も何もしていない彼が自宅に帰れないばっかりに、
転院交渉だけをしてきた私は複雑だった。もちろん、彼が若いころお酒を飲んでは家族に乱暴をしていたのが大きな原因ではあったのだが・・

私が臨終を宣告をしたとき、毎朝、彼のABGをとってもらっていた、インターンが
涙をこぼした。もちろんプロとしては失格かもしれないが、
彼女の涙は私の気持ちそのものだった。

死に方はその人の生き様そのものでもある。
ハイビスカスの赤い花がゆれる病院の裏玄関で、最後の見送りのため、
深々と頭をさげながら、そんなことを考えていた。
  1. 2009/09/22(火) 13:14:59|
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